埼玉に引越して、市民病院からの紹介で、某大学病院に通院することになり、
そこから今回の手術治療に至りました。
今後の自分のためと、同じような病気の方の参考になればと
記録して置くことにします。長文、連続日記で失礼します。
島在住時より、高血圧と不整脈があり、薬を処方され
(島時代の薬名、忘れた)
骨折時代は「アーチスト錠10mg」と「アムロジピン5mg」
市民病院では「アーチスト錠10mg」と「ノルバスクOD錠5mg」
引き継いで大学病院も「アーチスト錠10mg」と「ノルバスクOD錠5mg」
いづれも「血圧を下げ、狭心症の症状を改善する薬」です。
このままでも、不整脈は治らないので、心臓にも負担がかかり
放置しておくと、いづれ心臓が疲れてしまうので早めの手術が
望ましいとのこと。大学病院は手術好きとは聞いていましたが
今の時間があるうちに、短期入院で済むならと受けることにしました。
(心臓の疲れてるホルモンが増えているとのことでした)
そして今回の手術にあたり、4月20日より「アーチスト錠10mg」を停止。
病院での主治医からの話では、初めは
「手術の成功率は高く9割は治る。やっつける箇所は10箇所くらい。
2泊3日程度で帰れる」との話でした。なのでOKした次第です。
そしていざ、手術予約を頼むと、入院が22日(金曜日)手術日25日(月曜日)
術後経過観察があるので、退院が27日(水曜日)となりました。
これが平日入院だったら、24日入院の3泊でよかったんだと思います。
ちぇ!無駄な2日間があるぜと思いました。
入院したら同じ日で同じ日程のおばさんがいたので、
同じ思いの人がいてくれて、救われました。
22日・・・レントゲン、心電図、採血、先生からの話
担当の執刀医は初めて会う先生でした。
カテーテル・アブレーション手術(心筋焼灼術=不良回路を焼くのです)
「手術の不整脈やっつけ箇所除去の成功率70%」と・・・。あれれ?
全部は出来ない場合もある、不整脈が出ている箇所を探りながら
焼いていくので、この手術時間に現れない時もあるので、術後の様子見で、
また新たな箇所が出ることもある。等々、正直に解説してくれました。
何やかや、はめられた感が湧いてしまいました。( ̄▽ ̄;)
しかし、後戻りは出来ないし、少しは改善されればと承諾。
患者とは医者には逆らえないもんです。
私の場所は「右下の心室期外収縮」
足の付け根の動脈だか静脈の太い血管から、カテーテル入れて
部分麻酔で探りながらやっつけていくことになります。
23日、24日。何もすることなく、同じ立場のおばさんとコーヒ飲んだり
先に退院して行くおばさんに食堂でコーヒーおごってもらったり。
退院していくおばさんからは、先生にお包み渡して、違う先生に
替えてもらったりなど、院内の裏話も聞きました。
(やはり大学病院ともなると、未だにあるのですね。)
私が入院した日に3度目のアブレーションしたおばあちゃんの愚痴を
聞きまくったり、相手したり、説教したり、諭したり。
それはもう話出すと止まらない、寝たままでしゃべり続ける人で
ご飯、排泄、睡眠時以外は永遠続くものですから、いい加減ストレスマックス!
なるべく部屋にいないでデールームや外へ行ったりしましたが
さすがの私も手術前にぐったりしてしまいました。おばさんも一緒です。
前夜までは普通に過ごし、当日の朝はご飯抜いて、11:45に
手術室に向かいました。2時間くらいの手術で予定通りでした。
この間、部分麻酔だけなので全然起きており、目だけガーゼで
塞がれているだけなので、先生方やスタッフの声がまる聞こえで
かな~り気になりました。一緒にモニター見たかったです。
(愚痴ばあちゃんの話では自治医大では、一緒に画面見れるのだそう。)
まずは私の心臓の状態から「右足だけで、やっちゃうか?」
「いけちゃいますね」となり片方の足に穴の1箇所だけでいけそうな模様。
しかし進むと「微妙だな~。こりゃ繊細だ。これ以上は危ないな。」などと不安単語が満載。
ここは?これは?よし。とか良い方も聞こえますが、どうにも見えないのは
気分が悪いです。焼いていく時も30ワット~35ワット~とか36度、37度、38度
などなど聞こえます。最終は40度で焼いているそうです。
心臓の中が熱いのがわかります。造影剤が入った時も熱いらしいですが
今となっては、最初のどの時か思い出せません。その危険箇所だけは
物凄く痛かったのは覚えています。他にも2~3回、熱い痛いを
訴えました。そうなると焼灼は止めます。
いけそうな箇所は我慢で続行だったので、何度か耐えました。
これ以上はもう見つからない、もしくは無理だ、な流れで終了しました。
(「ここは薄いから危ないな」とか聞こえていました。)
今の時点でやれるとこは全部やったみたいです。
時々、先生と会話しながらです。でも目が見れないので不安感は満載です。
執刀医の先生の声はあまりせず、主治医の先生の声とモニター側に
5~6人はいそうな声とのやりとりだけ聞こえていました。
彼らの会話を聞いていると何だか自分がモルモットのような気分。
骨折入院の時の先生や術ナースやスタッフとの会話と違い
何と言うか、「このパターンの場合は、こうであ~で、これは珍しい
ここを見つけた、これでいくか」みたいな何かモノ的な扱いな気に
なっちゃいました。(´д`;)
顔を見たのは術ナースと先生2名だけなのに、係わってる
私の手術に参加して意見してる人が大勢いる声はすれど
確認とれぬまま、見られている感が不気味だったのかもしれません。
あとで、愚痴ばーちゃんに聞くところによれば、主治医の先生が一番偉く
私の執刀医の先生はカテーテル上手なんだそうで、ま、この院内では
間違いがないそうです。
なので多分、私の横に2人立ち、主治医の先生の指示のもと
執刀医の先生が作業を進めていき、モニター側の大勢と
チェックしつつ行われている流れだそうです。
私は右の腿を誰かが抑え、もう一人がシュッシュとカテーテル入れてる
感触があったので、なるほどと納得しました。
これにて!で終了となり、カテーテルが外されると
穴を開けた血管を、凄い力で圧迫します。何分かな~?
結構長いこと押さえていました。それから何か貼って
止血のための砂袋をデカイテープで両腿から股間を
クロスで止め、押さえ込みます。
目の上のガーゼが取られると、気持ちも甦りました。(*´∇`*)
手術室から、お疲れさまでした~と運び出されて、廊下にいるとき
執刀医の先生からお話がありました。
「4種類のパターンが見つかり、3パターンはやっつけたけど
1種類が無理だった模様。20回ほど焼いた」とのことでした。
薄くて危ない場所だったりだそうです。
痛みもなく、気持ち悪さもなく(術中は少しあったかな)
ありがとうございました!と元気よく病室に戻った次第です。
そこから今回の手術治療に至りました。
今後の自分のためと、同じような病気の方の参考になればと
記録して置くことにします。長文、連続日記で失礼します。
島在住時より、高血圧と不整脈があり、薬を処方され
(島時代の薬名、忘れた)
骨折時代は「アーチスト錠10mg」と「アムロジピン5mg」
市民病院では「アーチスト錠10mg」と「ノルバスクOD錠5mg」
引き継いで大学病院も「アーチスト錠10mg」と「ノルバスクOD錠5mg」
いづれも「血圧を下げ、狭心症の症状を改善する薬」です。
このままでも、不整脈は治らないので、心臓にも負担がかかり
放置しておくと、いづれ心臓が疲れてしまうので早めの手術が
望ましいとのこと。大学病院は手術好きとは聞いていましたが
今の時間があるうちに、短期入院で済むならと受けることにしました。
(心臓の疲れてるホルモンが増えているとのことでした)
そして今回の手術にあたり、4月20日より「アーチスト錠10mg」を停止。
病院での主治医からの話では、初めは
「手術の成功率は高く9割は治る。やっつける箇所は10箇所くらい。
2泊3日程度で帰れる」との話でした。なのでOKした次第です。
そしていざ、手術予約を頼むと、入院が22日(金曜日)手術日25日(月曜日)
術後経過観察があるので、退院が27日(水曜日)となりました。
これが平日入院だったら、24日入院の3泊でよかったんだと思います。
ちぇ!無駄な2日間があるぜと思いました。
入院したら同じ日で同じ日程のおばさんがいたので、
同じ思いの人がいてくれて、救われました。
22日・・・レントゲン、心電図、採血、先生からの話
担当の執刀医は初めて会う先生でした。
カテーテル・アブレーション手術(心筋焼灼術=不良回路を焼くのです)
「手術の不整脈やっつけ箇所除去の成功率70%」と・・・。あれれ?
全部は出来ない場合もある、不整脈が出ている箇所を探りながら
焼いていくので、この手術時間に現れない時もあるので、術後の様子見で、
また新たな箇所が出ることもある。等々、正直に解説してくれました。
何やかや、はめられた感が湧いてしまいました。( ̄▽ ̄;)
しかし、後戻りは出来ないし、少しは改善されればと承諾。
患者とは医者には逆らえないもんです。
私の場所は「右下の心室期外収縮」
足の付け根の動脈だか静脈の太い血管から、カテーテル入れて
部分麻酔で探りながらやっつけていくことになります。
23日、24日。何もすることなく、同じ立場のおばさんとコーヒ飲んだり
先に退院して行くおばさんに食堂でコーヒーおごってもらったり。
退院していくおばさんからは、先生にお包み渡して、違う先生に
替えてもらったりなど、院内の裏話も聞きました。
(やはり大学病院ともなると、未だにあるのですね。)
私が入院した日に3度目のアブレーションしたおばあちゃんの愚痴を
聞きまくったり、相手したり、説教したり、諭したり。
それはもう話出すと止まらない、寝たままでしゃべり続ける人で
ご飯、排泄、睡眠時以外は永遠続くものですから、いい加減ストレスマックス!
なるべく部屋にいないでデールームや外へ行ったりしましたが
さすがの私も手術前にぐったりしてしまいました。おばさんも一緒です。
前夜までは普通に過ごし、当日の朝はご飯抜いて、11:45に
手術室に向かいました。2時間くらいの手術で予定通りでした。
この間、部分麻酔だけなので全然起きており、目だけガーゼで
塞がれているだけなので、先生方やスタッフの声がまる聞こえで
かな~り気になりました。一緒にモニター見たかったです。
(愚痴ばあちゃんの話では自治医大では、一緒に画面見れるのだそう。)
まずは私の心臓の状態から「右足だけで、やっちゃうか?」
「いけちゃいますね」となり片方の足に穴の1箇所だけでいけそうな模様。
しかし進むと「微妙だな~。こりゃ繊細だ。これ以上は危ないな。」などと不安単語が満載。
ここは?これは?よし。とか良い方も聞こえますが、どうにも見えないのは
気分が悪いです。焼いていく時も30ワット~35ワット~とか36度、37度、38度
などなど聞こえます。最終は40度で焼いているそうです。
心臓の中が熱いのがわかります。造影剤が入った時も熱いらしいですが
今となっては、最初のどの時か思い出せません。その危険箇所だけは
物凄く痛かったのは覚えています。他にも2~3回、熱い痛いを
訴えました。そうなると焼灼は止めます。
いけそうな箇所は我慢で続行だったので、何度か耐えました。
これ以上はもう見つからない、もしくは無理だ、な流れで終了しました。
(「ここは薄いから危ないな」とか聞こえていました。)
今の時点でやれるとこは全部やったみたいです。
時々、先生と会話しながらです。でも目が見れないので不安感は満載です。
執刀医の先生の声はあまりせず、主治医の先生の声とモニター側に
5~6人はいそうな声とのやりとりだけ聞こえていました。
彼らの会話を聞いていると何だか自分がモルモットのような気分。
骨折入院の時の先生や術ナースやスタッフとの会話と違い
何と言うか、「このパターンの場合は、こうであ~で、これは珍しい
ここを見つけた、これでいくか」みたいな何かモノ的な扱いな気に
なっちゃいました。(´д`;)
顔を見たのは術ナースと先生2名だけなのに、係わってる
私の手術に参加して意見してる人が大勢いる声はすれど
確認とれぬまま、見られている感が不気味だったのかもしれません。
あとで、愚痴ばーちゃんに聞くところによれば、主治医の先生が一番偉く
私の執刀医の先生はカテーテル上手なんだそうで、ま、この院内では
間違いがないそうです。
なので多分、私の横に2人立ち、主治医の先生の指示のもと
執刀医の先生が作業を進めていき、モニター側の大勢と
チェックしつつ行われている流れだそうです。
私は右の腿を誰かが抑え、もう一人がシュッシュとカテーテル入れてる
感触があったので、なるほどと納得しました。
これにて!で終了となり、カテーテルが外されると
穴を開けた血管を、凄い力で圧迫します。何分かな~?
結構長いこと押さえていました。それから何か貼って
止血のための砂袋をデカイテープで両腿から股間を
クロスで止め、押さえ込みます。
目の上のガーゼが取られると、気持ちも甦りました。(*´∇`*)
手術室から、お疲れさまでした~と運び出されて、廊下にいるとき
執刀医の先生からお話がありました。
「4種類のパターンが見つかり、3パターンはやっつけたけど
1種類が無理だった模様。20回ほど焼いた」とのことでした。
薄くて危ない場所だったりだそうです。
痛みもなく、気持ち悪さもなく(術中は少しあったかな)
ありがとうございました!と元気よく病室に戻った次第です。
by nibosi09
| 2011-04-28 08:41
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